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日本の子供たちへのメッセージ  ・小西流!からだの鍛え方  ・ヒマラヤの自然を守ろう  
不安を抱える現代人へ

日本の子供たちへのメッセージ 

日本の子供たちへのメッセージ 

毎日中学生新聞創刊 50 周年を記念するイベント「 21 世紀のレッスンー生きる力」で、南極と北極を一人で徒歩で横断した大場満郎さん、日本人女性として初めて中国側からエベレストに登頂した續(つづき)素美代さん、世界最年少で七大大陸の最高峰に登頂した野口健さんと共に、極限の世界の体験と、生きることや挑戦することについて話しました。


毎日中学生新聞より要約

2000年1月3日号

2000年2月7日号 8000 m以上の高地ってどんな世界ですか?

2000年2月21日号 酸素が薄くなると、人間の体はどうなりますか?

2000年4月3日号 小西さんが感動した経験は?

2000年4月17日号 くじけそうになった時、何を心の支えにしますか?


2000年1月3日号

私はプロとして山に登っていますので、その道で世界ナンバーワンになりたいという思いがあります。今、明確に出している目標は、世界に 8000 峰が 14 座あるのですが、それを酸素ボンベを使わないで、全部のぼりたいと思っています。

だいたい、年に1回から多い時で 3 回、新しい 8000m 峰にいきます。 1999 年の春にはローツェという 8500m の山に行きましたが、失敗しました。最近はシェルパをパートナーにして、私とあと 1 人から 3 人の少人数で登っています。

日本にいる期間は年に 4 ヶ月から 6 ヶ月なのですが、スポンサーを探したり、遠征の準備や後片付けをしていて、東京の生活も結構忙しいのです。あとトレーニングで日本の山に登ることもあります。あんまり長く東京にいると赤信号が出ちゃうので、 ( 笑い )4 ヶ月以上は日本にいないようにしています。日本の山もいいですが、やっぱり僕はヒマラヤの空気の薄いところが好きなので、そこで生きていくのがあっているかな、と思うのです。

 ヒマラヤ登山は夜間行動が多いのです。闇に囲まれると、正確な判断や行動ができにくくなるので、闇でもビビらないような胆力や判断力を鍛えるトレーニングもします。


2000年2月7日号

8000 m以上の高地ってどんな世界ですか?

「 8000 mから上は神の領域」といわれますが、 8000 mより上は基本的には岩と氷と雪しかない無機質なところです。動物や植物、つまり有機物がないところです。

高所は感情や性格にかなり影響を与えます。興奮作用といったことが実際にあります。だから無機質なところに立ったときに、「神の領域」という感じを持つのは不思議ではありません。多くの国で、山というのは昔から「神様が住んでいるところ」という信仰がありますからね。

そのような高所では、空が大変に青く見えます。大気が少なくて紫外線が大量にあるので、空の色は極めて濃いブルー、群青色というか、黒に近いようなダークブルーになります。 5000m くらいから明らかに色が違ってきます。

低酸素の状態に長くいると、脳がやられて 1 分いるごとに寿命が縮まっていきますから、苦労して登っても頂上にいるのは最大 20 分くらいです。山っていうのは往々にして昼から風が吹き出すことが多いですから、早く下りないといけない。頂上で登頂したという証拠の写真を撮ったりとかのいろんな儀式を終えたら、大至急下りるのです。


2000年2月21日号

酸素が薄くなると、人間の体はどうなりますか?

人間の体にとって一番大切なのは、当然酸素です。それが薄くなってくると体に影響がでますが、最初にその影響が脳にくるわけです。その次が末梢血管ですね。末梢血管の方には血液と酸素がいきにくくなりますから、指先とか鼻の頭とかが凍傷になるという問題がでてくるわけですね。内臓も当然、酸素不足と低気圧によってダメージをうけ、下痢をしやすくなったり、胃痛を起こしたりします。

東京と比べると、だいたい酸素の濃度も気圧も 30 %くらいになります。気温はだいたい氷点下 10 度から 40 度くらいの間です。そこで酸素がないというのは人間の体にとっては大問題です。

もっとも大きな影響を受けるのは脳です。安全ベルトのロープのつなぎ忘れなど、何でもないところで「凡ミス」をおかして落ちて死ぬなんてことになるのです。

全身の血行障害は凍傷を引き起こします。無我夢中で登って、テントへ下りて手袋を抜いたら指が真っ黒けになっていたということもあります。

シェルパに教わったのですが、高所では睡眠のときの呼吸も重要なので、体を締め付けるのはよくありません。呼吸は腹でするものですから、ブリーフとかで腹を締め付けすぎないように、パンツを履かない、靴下は一枚しか履かないなど、酸欠を起こさない工夫が必要になってくるのです。


2000年4月3日号

小西さんが感動した経験は?

私はほんの小さなことで喜びを感じてしまいます。寒い時の太陽の温かさだとか、バテている時は砂糖のたっぷり入ったミルクティーで喜びを得ることができるわけですよ。東京にいると贅沢になっちゃいますから、こういう感動はないですけどね。

ヒマラヤで一番うれしいのは 6000m くらいの高さのところですかね。青空が広がっていて、技術的に難しい場所ではなくて、肉体的にも余裕があるところです。遠征の時、いきなり涙がでそうになることが一回くらいあるんですよ。亡くなった友達もいるけれど、自分は生きて山登りをしていられる、そういう喜びがバーンと出てくることがあるんです。

怖かったことはいろいろあります。一番危険だったのは、 1996 年にネパール側からエベレストに登った時のことです。酸素ボンベを使わないで登頂を目指していて、 7500m くらいを自分のパートナー、他の外国隊のメンバーとシェルパ、 4 人で登っていたんです。私は出発が遅れて、他の 3 人は 10m くらい先を登っていました。

45 度くらいの氷壁を登っている時、上からいきなり「ヒューッ」という音が聞こえてきた。シェルパの指笛です。見ると、自分のパートナーのシェルパが横に走っている。 7500m という高度で走るということは通常ありえないことです。しかも彼はザックを捨てていた。

「雪崩だっ!!」と思って上を見たら、 500m ほど上から、でかい雪崩が落ちてくる。自分のいるところが直撃されるのがわかった。

周りをみたら右斜め前に、少し出っ張った氷壁があった。その下まで走ってラマ教のお経を二回唱えた。その氷壁にべたっと張り付いたんですよ。雪崩は時速 100-200 キロできます。すごい速いんです。上からドカーンと来て。雪崩が通過する時、空気を持っていかれて、へばりついたところが真空状態になった。息ができないけど我慢していた。

雪崩が過ぎたら、他の三人は消えていた。彼らは高度 6500 mまで流されていました。二人の遺体は回収できましたが、自分のパートナーのシェルパは雪の中に埋まったまま。フェースマスクと血痕と髪の毛しか見つからなかった。シビアな経験でした。助かったのは実力とは関係ない。山の神様が助けてくれたとしか思えない。そういう厳しい世界です。


2000年4月17日号

くじけそうになった時、何を心の支えにしますか?

「山登りが俺の生きる道であり、仕事であり、これで飯を食ってるんだからへこたれるんじゃない」と考えます。それから、亡くなった仲間のことを思い返しますね。自分と一緒に行って亡くなった人たちも、当然死にたくはなかった。登りたい山はいっぱいあったとおもうのですよ。「その人たちのためにも、生きている自分が歯を食いしばる」といったら、ちょっとええかっこしいなんですけどね、がんばって山に登ろうじゃないかと思うんです。後は、自分を応援してくれる人たちとか、お金を出してくれたスポンサーの人とか、そういう人たちのためにも。「負けて東京に帰ったら自分に何が残るんだ」と自分を奮い立たせます。


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