西田敏行さんと南米アコンカグアへ 登山家 小西浩文 オフィシャルウェブサイト


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メディア出演

2001年 テレビ朝日「ネイチャリングスペシャル 西田敏行 
米大陸最高峰 アコンカグアに挑む」登山コーディネート及び出演

2000年  西田敏行さんと南米アコンカグアへ

西田敏行さんと南米アコンカグアへ西田敏行さんと南米アコンカグアへ


西田さんを登らせるのは高所登山の常識からは絶対無理?

今回のアコンカグアで、まず大問題になったのが、西田さんを7000メートル近い高峰に登らせるという事であった。1985年に38歳であった西田さんは、2000年のアコンカグアでは54歳、そして身長165 センチ、体重94キロと15年前と比べると、極めて太っていて、中性脂肪が並外れて多く、ヘビースモーカーで、大酒飲みであり、運動習慣は一切なく、数ヶ月に1回のゴルフが唯一の運動という事であった。 

高所登山の常識から考えると、これは登る事は絶対無理という事になるが、私は二つの事に賭けてみようと考えた。一つは、85年の映画の撮影でみせた、西田さんの集中力と高所順応力。もう一つは、まだ数ヶ月間、時間があるので、トレーニングと減量、そして出来れば高所トレーニングをしてもらうという事である。これに加えて実際の登山では、一日の行動時間を短くして、非常にゆっくりと長い日数をかけて、体重を落としつつ、高所に慣れて、5800メートルより上からは、大量の酸素ボンベを使用して登る、というのが私の考えた作戦であった。 

ノーマルシーズンより厳しい登山時期 

ただ一つ、引っ掛かっていたのが登山期間である。南半球に位置するアコンカグアのベスト登山シーズンは、12月から2月と言われており、通常、登頂は1月になってから行われている。西田さんのスケジュールの都合上、クリスマスには、日本に戻らなければならず、そうなると撮影のスケジュールと相まって、12月17日迄には登頂していなければならない。私の作ったタクティクスだと、ベースキャンプ以上の登山期間が予備日を含めて、33日間から35日間となっており、それであれば11月中旬までにベースキャンプ入りしている必要がある。果たして、ノーマルシーズンより一ヶ月以上も前に入山して、季節的に問題が無いのかどうか、ディレクターが現地のエージェントに問い合わせをしたが、登頂は可能という事であった。撮影スケジュールと、西田さんのスケジュールを考えると、この期間しかなく、寒気・強風等、ノーマルシーズンより厳しくなる事は間違いなかったが、選択の余地は無かった。 

高度・強風・低温との闘い 

現実にこの11月中旬からの登山活動は、高所に加えて、強風、低温との闘いとなり、持参したテント25張りのうち、23張りが破損、使用不能になるという結果を生む。 TV朝日とドキュメンタリー・ジャパンから、高所カメラマンと医師を推薦してくれとの事で、私がオファーを出したのは、村口徳行カメラマンと増山茂ドクターであった。村口カメラマン(当時43歳)は、日大山岳部OBで、日本で唯一、ムービーカメラマンとしてエベレスト(8850メートル)とガッシャーブルム2峰の8000メートル峰2座に登頂しており、アコンカグアの高所カメラマンとして、彼以外に考えられなかった。増山ドクター(53歳)は、未踏の7000メートル峰2座に初登頂しており、高所医学の権威としても知られていて、このアコンカグアの後は、一年契約でボリビア大学の教授になる事が決定していた。彼らは私のオファーに参加を快諾してくれ、これは、私にとって非常に心強いものとなった。 

NHK大河ドラマの最後の収録を終え、トレーニングにネパールへ

6月に西田さんを含めてミーティングがあり、その場で8月にネパールで高所トレーニングを行う事が決定する。 NHK大河ドラマの最後の収録が終わってから、西田さん、小林さん、私、そして私のアシスタントとして宇佐美の4名で、約3週間の日程で、エベレスト街道を5000メートル付近まで行くという計画である。モンスーン明け前の8月のネパールは、かなり雨が降るが、その反面、花が綺麗で、他の人間も殆どおらず、一種の穴場であった。 西田さんと小林さんが8月末に帰国してからは、私と宇佐美でネパールに残って、私のスポンサーへの写真撮影を兼ねてメラピーク(6450メートル)で、10月中旬までトレーニングをする事になっていた。 

西田さんは日本のオジさん達に、エールを送りたいと言った

8月上旬、バンコク経由でカトマンドゥ入りをした私達は、早速、エベレスト街道の拠点であるルクラ空港に飛ぶ。目の醒めるように鮮やかな緑と花のなかを、無事、ペリチェの裏山の4700メートルまで登って、8月下旬、カトマンドゥに戻った。西田さんと小林さんが日本に帰国する前夜、夕食後、私達はホテルのバーで飲んでいた。カウンターの隣に座っている西田さんが私に言う。 

「小西ちゃん、俺が、何でアコンカグアの話を引き受けたか、分かる?」 

「うーん。年齢的にも7000メートル近い山に登るのは、ラストチャンスに近くなっているという事ですか?」 

「うん、それもあるんだけれど、一番大きい動機っていうのは、いま現代の日本のオジさん達って、
大変だろう。会社ではリストラに遭い、社会ではオヤジ、オヤジと馬鹿にされて。
俺はこれっておかしいと思うんだよ。」 

「ええ」 

「本来ならば、尊敬されるべき、日本の社会を引っ張ってきたオジさん達が、現実にはそういう目に
遭って、皆元気を失くしているだろう。」 

「ええ」 

「だから、何つうかな。今54歳で、背も低くて、太った俺が、バテバテで疲労困憊して、鼻水垂らしながら、アコンカグアに登る事で、俺は日本のオジさん 達にエールを送りたいんだよ。皆、がんばろうぜっていう。それが厳しい事がわかっているアコンカグアを引き受けた理由なんだよ。」 

「わかりました。西田さん、当たり前ですけど俺は、身体張って、とことんやらせてもらいますよ。」 

この時の会話は、アコンカグア登山が終わるまで、何百回も、私の心に蘇ってきた。カトマンドゥのホテルの薄暗いバーのカウンターで、私は誓った。 
どんな事があっても、俺は、この男を、絶対、死なさないと。


安藤スポーツ・食文化振興財団 自然体験.com より

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